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ミセスdeコラム

深い想いを感じた時に言葉にしたくなりUP。気持ちを残しておきたくて…。

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達成感の心地よさ

初めて出かけるアートの展示会で
1枚のチラシが目に飛び込んできて手に取り持ち帰りました。
直感的に気になって、バックの中へ…
それはクライミングジムのチラシです。

そう。あの壁を登る場所。
壁にでこぼこした物が打ち付けられていて
それを上る場所です。

そして私は気になりだすと気がすまない性格。
偶然にもお試し体験コースが低価格で記されています。
500円オフ券が付いていて
なんと!2500円で出来ちゃう。

今までにも様々な体験をしてきましたが
体を動かす事は余りありませんでした。
何故ココへきて
この年齢で体を動かす事へ目覚めてしまうのか?
自分でもびっくりですが
ここでしないままでは
また数年後やりたくても
関節炎がひどくなっていたりして
年齢的にも恥ずかしくなったりと・・・
ココは今しかない!
そして電話したのです。

はじめの質問はコレでした。
あの~43歳ですが大丈夫ですか?
優しい声で大丈夫ですよ。と言われて
ちょっぴり勇気をいただきました。
その勇気は足を運ぶ勇気です。

地下鉄で3区ほど。歩いて7分かな?
扉を開けると、スパイダーマンのように張り付いた若者が数人。
まず、驚く私。
ココへ来て本当に出来るのかな?
よく考えると腕立て伏せは1回も出来ません。
しかもこの体重を腕と足で登るのよ。
心の中で自問自答していました。
しかし着替えを済ませて前に立ち
ストレッチを始めると…
すでに43歳である事、
運動が苦手な事をすっかり忘れてしまいました。

インストラクターの方は親切に教えてくれました。
「では水色を使って上りましょう。
足は何を使ってもかまいません。
手を置く場所だけ決まっていますからね。」
そう言うとすばやく動き壁をすべるように上がって
ゴールへ

ゴールとスタートは両手が付いたらOKです!
そう爽やかに言うインストラクター

インストラクターは数秒でゴールしました。

さてさて!次は私の番です。
隣で見ていてくれて。右足はここ左はココ
次は右手を動かして・・・
左手と言う感じで動かします。

その置き場所がひとつ違うだけで
バランスが・・・
手が・・・体重を支えられず・・・
あ~~~~~むり~~~~~
うそ~~~~
だめ~~~~
そんな言葉を無意識に発していた私です。

人は下に落ちたくないから必死です。
落ちるといってもふわふわのクッションなので安全です。
でも、嫌なんです。
そしてよじ登る。
1回目体重が手にかかりすぎて落ちました。
2回目何とかゴールへたどり着くと。。。

。。。。

なんでしょう。
この気持ちよい気分。
達成感なの?
自分ってすごい!と言う気持ちなの?
やれば出来るじゃん。なの?
勇気とか元気とかやる気とかアドレナリンなのかな?
気持ちよいものが脳の中で出るのを感じました。
誰かに褒められるより気持ちがいい。
調子をこいた43歳は次のコースを挑戦。

ちょっぴり難しい足も手も同じ色しか使ってはいけないコースです。
身長が高いので実は上がるといってもそれほどでもありません。
命綱もありません。
なのに・・・
やはりこの緊張感
色の付いた石を見失うときのパニック。
次はどこ?どこなの?
あきらめたくないこの意志。
性格や癖などが思いっきり出てきます。


何度繰り返しても出来ないこのコース
先生は休憩を長くしてください。と言う
1回1分も無いのに・・・
数十分休息をすると筋力や握力が
戻りますから!と言いました。

ん。。。
その休憩の時は
イメージトレーニングです。


右足はココ
左足はココ
右手はココ
左手はココ

そしてゴール
そしてゴールなの!!!

それを繰り返して挑戦する
休憩している若者も私がパニックになると石の色を教えてくれます。
なんて親切なの???

いい子達だわ~~
43歳にもなると娘を見るようにいい子たちになってしまう。
あれこれ1時間40分ほど体験していました。

応援してくれて
そしてゴールできると
またまた気持ちがいいの!

夢や願望に似た
自分で決めて達成したそんな感じが
強烈に感じられます。



無理をすると
明日筋肉が・・・そう想い
インストラクターさんに今日はこの辺にしておきます。と
後にしました。

子供の時に木に登ったりした記憶を思い出したりして
無邪気さではないけど好きだったことなのかな?
と感じた体験でした。

クライミングジムを出ると
生活の様々な事を思い出します。
あ!食事の支度しなきゃ。なにしよう。
あれやらコレやら。。。
しかし壁に張り付いているときはゴールしか考えられません。
降りている時はイメージです。

意識の切り替えや息抜き
ストレス発散には最高の物なのかも・・・と
43歳今後の筋肉痛を考慮して月に2回は行きたいな。
そう想うのでした。

趣味にも色々あります。
体を動かす趣味
動かさない趣味
それのバランスってすごく大切なんだと感じました。

達成感や上に上がる事への体験は
子供達を含めて素晴らしい物ではないかと
感じたクライミング体験でした。
足元、手元4つの支えるバランスは
何か大きな意味さえも感じた私です。

でも、イメージトレーニングって大切だね。


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社会見学はハローワーク

相談をしていると
仕事探しの話も良く出てきます。
アドバイスとしては私は派遣登録などは?と
話すことが多いのですが
ハローワークの実態を実は知りません。

名前は知っていますがどんな空間なのか?
と言う事で…
偶然知人が出かけると聞いて
私も付いていっていいですか?と
参加する事に…

企業がハローワークに登録する時も
ついていった記憶がありますが
さてさて探す側はどんな環境なのか?
人にアドバイスをするならちゃんと知っていよう。
そして社会見学に出かけました。

大阪の住吉区では天王寺にありました。
ビルの中にはいり静かな廊下を抜けます。
するとパソコンが沢山並べてある片隅が…
知人は何やら届けを出すだけらしく
その間私は検索をさせていただく事に。。。

中に入ると受付の人が検索ですか?と言われて
ハイと答えるとデスク番号が付いた札を渡されました。
(@@;)お~~~。。。
C-24ばんね。
ココはA・・・B・・・
あった!C!!

椅子に座るとペンタッチのモニターを前に
まず年齢・性別・職種・地域
大切なのが希望日給?時給?
私の場合はパートでも検索してみました。
43歳
女性
この辺までかな???
希望時給か~~~1000円。
ちょっと欲を出してみました。
が・・・あるではないか!
驚きです。こんな43歳にも職はあるんだね。
それだけで嬉しくなります。
職種はまず販売・介護・専門といくつか検索
時々どんな職種でも興味があるものが出てくる事があります。
驚いたのが
子供服のデザイン。
あ~~~~やりたい!やってみたい!
この年齢で新しいことに挑戦だわ~~
何故か夢が膨らみます。
名前も有名なダイコクドラックの募集も沢山ありました。
へ~あのお店ね~(^^)
なんだかイメージが膨らんで
そこに立っている自分を想像してはワクワクします。
時給も1500円などと高く設定もしてみたりして
どんな職種が出てくるのか?見ていました。
介護の仕事の募集が沢山ありましたが
労働と経験が必要だよね~
そう思ってみていると…ハローワークでは
最低の級を無料で取れる資格をお勧めしているそうで
(@@)へ~~~。
私は体力が無いので無理ですが
心優しくて体力のある人はお勧めなんだな~と見つめていました。

ペンタッチでその企業にタッチすると
詳しく表記され
面接がしたい場合はもう一度タッチ
すると・・・用紙がプリントアウトされ
就活に繋がると言う流れでした。

43歳でも沢山ありましたが…
まず面接まで行くのかどうか?
次が面接をしても合格するかしないか?
…イメージすると
以下に書類にインパクトがあるか?かな?
会ってみたい!話してみたいと思わせるものを送らなくてはいけない。
そう実感したのでした。
と言う事は…

写真も重要だね。
見た目の社会だからより綺麗に撮らなきゃ駄目なわけで…
ん~~~~~。。。

書類が済んでも
面接での対応
コレってその人が出ちゃう
会話のキャッチボール
まるでオーデションです。
何かを聞かれて答える。
ドキドキだけど仕事探しってココも重要だね。

私って履歴書に何が書けるのだろう?
そう考えた瞬間と時間でした。

パートでもハローワークありなんですね。
(^^)私はもう無理だけど・・・
アドバイスには最高の社会見学でした。




アミダで処罰する学校問題

相談をしていると個人的な問題から
社会問題に突入する事があります。

とある企業でのイジメ問題をはじめ
学校での生徒達へのパワハラ問題。
宗教(精神世界)での価値観・人間関係

過去にも相談と言うテーマを扱う中で
疑問から、
「コレって本当に正しいのでしょうか?」
と言う出来事を耳にする事があります。

相談者は
ココロがざわついて何か引っかかるから
おかしいと感じて、いつまでも悩み
時には自分を責めたりしてしまう。

私はと言うと・・・
話を聞いて客観的に見つめます。
もちろんイメージは全ての登場人物の立場を通します。

今回は
教育者・大人達が子供達への処分の仕方に対して
疑問を感じました。
それは相談者も同じです。
ただ、そこから
「どうしたらいいのか?」
「何かすべきは無いのか?」
と・・・言われると私は答えます。

今回の話はある駐車場(私有地)で
生徒が10人以上が
集まっていたそうです。
(授業が終わって…)
通報され先生達は動き出した。
「何かしなければ!」と言う気持ちだったのでしょう。

しかし、生徒を集めて処罰したくても
人数が多いと言う事で・・・
数人がアミダで選ばれて処罰された
数人が自宅謹慎処分には驚きました。

どうなっているの?
人間が人間を罰する時
何故人はおかしくなるのだろう?
先生と言う名は時に法の賢者にでもなったかのように
剣を振りかざします。
おかしな振り方で裁く実情に
半分笑えますが、半分あきれてしまうのですが
これが真実で現実だと思うととても悲しくなります。

ちょつぴり傲慢になった先生達
剣を振りかざし方を間違えた先生には
もっと道徳的であり 世間の目を常識を
今一度考えてほしくなります。

迷惑をかけたなら
まず謝罪を、生徒を皆連れて誤りに行くべきではないか?
それから注意をして
それでいいのではないだろうか?

今回のお話は高校生
高校と言えばやんちゃな年頃です。
(だれもが悪い事をする)
そこで、何かをすれば謝罪ではなく
アミダで罰される代表ってなに?
迷惑をかけたと言う事を認識させる事が
先生(教育者)のすべき事ではないか?
と考える私です。

何やら、抗議をしているようなので
アドバイスとして
悪い事は謝罪
そしてアミダは違うのではないか?と伝えました。

「でも、それが正しいかどうかはツイッターや報道で
確認させてくださいと言ってみては?」
と・・・伝えていた私です。
2チャンネルの人達も道徳的なことはすごく知っています。
出来る事は皆さんしてくれます。

だからといって本当にするのではなく
世論が聞いても正しいと言えるのか?と言う視点は
忘れないように今一度考えてもらいたくて話をしました。

先生方は閉鎖的なので上下関係だからこそ
年齢・教える立場だからこそ
知らない間に傲慢になってしまうから
人間は怖い生き物だと感じます。

未来を託す子供達の教育に
アミダですから!すごい話です。
これが2010年
日本の高校教育現場の実情です。



親戚や身内って何故陰口になるのか?

現在メール相談をしていますが
同じような相談が多く
それが身内や親戚などもちろんお姑さん
との関わりなども関与してくる事が多く
被害を受けている話を耳にします。

こんな私も
このような活動をしている私として出会った人達は
言葉や活動から人を判断していますが

どうやら

身内や親戚などは
そんな事はどうでも良いようです。
そう感じるきっかけは多々ありますが・・・

身内や姉妹などは
親子関係も含めて
仲間意識が強く自分と同等になっているから
なのかもしれないと感じました。

どれだけ距離があり
どれだけそれぞれの家庭が違っても
どれだけ変化しようとも
性格も違っても年齢が違っていても

時に礼儀など忘れて
まるで何でも知っているかのような態度や
陰口や悪口を内々で話す人がいます。
それは何故だろうと考えると

外部に話す相手がいないため
友人なのか知人が全て内部に存在しています。

結果 クラスの中でクラスの人を非難する関わりが生じて
最終的には本人の耳に入り
失礼な結果が生まれる。

そのこと自体を良くない事と判断しない人達は多く
結果 誰かが苦しんでいる事を知らない。

例えば
そんな話があるとき私はこう考えます。

人には人の関わりのコミュニュティを持っています。
まず、家族・親戚・会社・学校・友達・趣味仲間

会社の愚痴を社内の人に言えば・・・
いずれそれが本人の耳に行くか
そんな事を言う人として非難される。

会社の愚痴は会社の中の人の耳に入らない人へ話すべきと考えます。
会社の愚痴は趣味仲間に話せば誰の耳にも入りません。
聞いている人も知らない人なら楽になります。

どんな人間であろうとも
欠点はあります。

もちろん私も・・・
それに関してどう思われていようがかまいませんが・・・
本人に言えない愚痴は
本人の耳に入れるべきではない愚痴ではないかと考えるからです。
結局 自分のストレスから来る人を非難する言葉なので
私は相手にはしません。

相談者にもその話をします。

世の中には人をきづつけたり
無意識に攻撃してしまう瞬間があります。
その大半がコミュニティ内で起きる
問題が多く

人との関わる為の話題が
人の陰口や話題にしか出来ない人の悲しい現実様に
感じてなりません。

人の話題の何が楽しいでしょうか?
何か聴いて得を感じるのだろうか?
情報交換にしている話題が陰口や悪口では
いずれ自分も言われている不安に
誰もが気が付く事を知らないままのようです。

悪口を言う人はそれがその人の姿と私は話します。

結果そんな人は
最終的に周りに人は寄り付かなくなる。
そして、電話もメールも誰もが違和感を感じてしまう

結果
言葉の大切さは
人が集まる人なのか?人が避けてしまう人なのか?
その結果がその人のコミュニティとして
見え隠れしているように感じます。

どんなコミュニティを持っているか?
考えてみると自分も、問題を起こす人も環境からわかります。

人が人と関わる時
何故自分の心境報告が素直に出来ないのか?
素直に気持ちや出来事を話せないのか?
それはその相手との関わりの中で
ライバル心やかっこつける心がある人ほど
大切な時間をそこにいない人の話で盛り上がっているようです。

私自身も環境から身内から
仲間から何度もそんな痛い目にあっています。
だから言えることで・・・
何故それらの事が起きるのか?
と深く分析して見つめ続けると・・・

お互いが素直でなくなったり
礼儀を忘れた時
な~な~の関わりになってしまうことがわかりました。

残念な結果ですが
そうなってしまった時は
もうそこへ執着する必要は無いと私は考えています。

なぜなら
コミュニュティは成長し変化して言う物だと思うからです。
年齢が重なるように
私たち自分自身も成長していくには
新しい仲間
新しい友
新しい親友
新しい心友が必要だからではないかと私は考えます。

本来家族
親戚 仲間など友人も含めて
本当は大切にすべきなのに出来ていない場合は必要なのだろうか?
年齢が上の先輩の方達は年下の人を
見守りアドバイスする立場の人達ですが
バカにしたり見下したりする事が多い様です。

残念な結果ですが
その人もストレスや憤りを感じているからこそ
広い目で見られない狭い人になっていると思えたら責めたり
相手にしたりする事は無くなるのではないでしょうか?

人の関わりには
奥深い問題を秘めていますが

私はこう考えます。
もし私が亡くなった時

親戚身内が仕方なく集まるそれだけの人の別れを感じるのか?

親戚身内だけではなく
遠くから別れを告げるために来てくれる人達。
他人。

人の価値と言うのはそんな場面で
最終的に見られるのではないかと私は感じます。

私を知る人
私を求める人
私を必要としてる人
それらの私がそれぞれの人の心に残ることが必要だとしたら
外交的であり素直に表現して人との関わりを大切にすべき時間の使い方へ繋がってゆくのではないかと考えます。

情報社会でコミュニケーションをとりやすい時代だからこそ
身内親戚はもちろん大切ですが
それだけではない関わりがもっと沢山あるのではないかと考えます。




電子書籍の時代

10年ほど前から本を出す夢がありました。
知っていることを伝えたい!と言い出して10年
しかし文章に関して、表現の仕方も素人で…
手がつけられない状態でした。
もちろんメンタルに関しての書籍です。
しかし理想と現実は表現力の壁にぶつかりました。

そして気が付けば
ブログから始まっていたのかもしれません。

そしてあれから10年
なんと言う時代でしょう。
先日もめんたるの先輩と話をしていましたが
結局 いいものを伝えたいと想うと一人でなんだよね。
自分でなんだよね。と言う話でランチの時間が終わりました。
 
本当に同感です。
世の中を知れば知るほど同感でした。
書籍も売れなければ無駄な紙を使う
宣伝が出来なければ売れない
皆が知るということがまず無ければ売れるはずもありません。
そこでツイッター宣伝です。

自費出版で数百万の人もいると言う話
売れたのは4冊とか!

そんな話はよく聞いていました。
しかし売りたい
儲けたい!では無いと言う事が重要なんです。
必要な人に伝えたい。
コレが重要なんですよね。
(^^)

そんな理想と現実
そして経費問題。

が・・・ココへ来て到来なんです。
電子書籍は簡単に出来てしまう
バーコード申請をしてその時に16800円を支払う
(10冊分)
そしてアップする。
それでいいじゃないか!うん。
そんな自己満足が始まりました。

売れた売り上げもとてもいいんです。
3割をアマゾンへ支払う。
7割が自分へなんて考えられない話です。

自作自演ですが自費出版ではありません。

本当に良い物だけを紙にすればいいんです。
売れる物だけを紙に…

携帯で取り込んだり
PCに取り込んで持ち歩く事ができる。
私は絶対コレだ!とワクワクを感じました。

私だけではなく
私の様に考えている人が沢山いると想うだけで
新しい時代がやってきたのを感じます。

電子書籍絶対イイと想います。
そして残しておきたい物だけ
紙である書籍になる時代になるのかもしれませんね。

電子書籍挑戦準備中!なのでした。

SNSについて考える

SNSと言えば・・・
何人かの人の紹介があり、
数年前ミクシーを始めました。
外部でブログを書いていたのですが
ミクシーでのブログはコメントを貰い楽しく感じたものです。
しかし、しばらくするとコメントに対するコメントの物が増えて
疑問を感じて結局
外部ブログを転送する事に・・・

いつしかブログを書きたいから、
コメントを意識して書くことに変更していたのに気がつき
しかし、友人知人をマイミクにするととても連絡を取るのも楽で
それと同時に、元気かな?と覗いて確認して安心する
そんな部分もあり楽しんでいました。
しかし人は飽きるんです。
それは私だけなのかもしれません。

足あとが気になったり
自分がつけることや訪問した人など・・・
メリットもあればデメリットもある。

そんな事を考えないツイッターをしばらくして始めました。
が・・・ミクシーをしながら外部ブログ
そしてツイッター何が何だか?
当時はHPも管理していた事と物語を書いていたので
頭の中がパニックでした。

ツイッターの使い方がわからずつぶやいているばかり。
そしてツイッターは遠のいていつしか忘れてしまい。。。

それから3年は経ったのかな?
ミクシーは放置気味でたまにメッセージがあれば見る程度
HPを中心にヤフーメールチェックとブログを更新
いくつかの語りたいブログも立ち上げて
それで手一杯の時間が流れて・・・

アイフォン登場です。
はじめはゲームをやりたかったのですが・・・
使ってゆくうちにミニPC感覚へ突入。

ヤフーメールチェックはもちろん
HPも見られて、検索も出来る。
全てのSNSも管理が出来る訳です。

しばらくしてツイッターが熱いと旦那さんが言い出します。
何か気になる!と数冊の本を購入。
へ~っ。そんなのんきな私でしたが
アイフォンの使い方も出来るようになり
ツイッターをはじめると140文字の制限はあるものの
なんだか楽しく感じました。

数年前の静かな状態から
皆さんが使って参加しているからでしょうね。
人の意見や情報が常に流れている河のように感じて
私には新鮮でした。

が・・・ただ参加しているのはどうなの?
自問自答した結果ココロに関してつぶやこう
必要としている人がいればそれでいいじゃない。
そんな軽い気分でお役立ちアカウントを申請。
数週間かかりましたが申請が通り現在に至るのですが
それでも、やはり脱線します。

時々ココロをはずして我が出てしまいます。
それもツイッターマジックの流れのある河なのかもしれませんね。

それでも
ブログを沢山管理している私は頭がパニック
そこで登場したのがフェードツイートです。
ココロに関するブログをツイッターへ転送してくれるサービス

そして画像をツイッターへ転送してくれるサービス付きのタンブラー
ココのサイトは様々な画像や情報をアップしている方が多く
見ていても楽しい場所。

ツイッターは言葉ですがタンブラーがどちらもありますが画像が多い場所なんです。そんな楽しさもありで次に登場したのはフェイスブック

はじめは履歴書気分でアップしておこうと想いましたが
何処にも連動が出来てツイッターもブログも転送サービスが付いているから楽しく感じました。

そしてコチラ、フェイスブックには活動家の方々がいっぱい。
意見を持っている方達
もちろん世界的な日本人が沢山。
もちろんPC管理や発言を持っている人なんです。
なので探究心旺盛で積極的そして意見をお持ちの方達
少し安心する人が集まっています。
写真が付いているからでしょうか?
自分をそのまま表現しているからでしょうか?
私は安心していられる場所でもあります。

音楽好きな方にはマイスペースですね。
アーティスト関係の方がいっぱい集まっています。
私も画像を作ったりする時はそちらを覗いています。
そこはエナジーを感じる場所であるんです。

様々なSNSがあります。
時にそんな沢山のSNSを知らない方もいれば
自分に合ったSNSがあることを知らない方もいます。
私が知っているのはほんの少しですが
気が付けばこんな場所があるよ。と情報として言葉にします。
しかし、やらないでいて否定的な人や
悪い側面だけを見て決め付ける人も沢山いますが
今日のSNSはもう携帯と同じコミニュケーションツールに
なりつつあるのではないかと感じる私です。

メンタルの相談でも一人で悩んでいるより
ミクシーのコミューにはいい場所がありますよと話した人もいます。

いいたいことをつぶやいて発散してみては?と
ツイッターを紹介した事もあります。
もちろん危険も話します。
全てが素晴らしい事ではないですが人生と同じ
自己選択と自己責任が伴っているからこそ人生の楽しさだったり
情報交換や共感を感じられる場所ではないかと…

私のような人は物忘れもひどいからか?
思い立ったら検索したり発信したり
お礼をメールしたり
メールチェックをしたりするうえで
やはりアイフォンは画期的なアイティムとして感謝しています。
いい時代になったと…
5年前10年前には考えられない時代を感じる私でした。

私の本の一握りの
SNSを振り返り…









老後の未来

私もきっと老後の世界が必ずやって来ます。
子供達は家族を持ち、孫が生まれる。
そして残されたんは私とパートナー。

足も弱くなり
目も弱くなって
遠出はできなくて自宅を中心に生活する。
風邪を引いたら・・・
どちらかが心配をして食事を作る。
様子を見守って傍にいる。
寂しさはパートナーさえいれば無いはず
話し相手として日常のことやTVの事で話して笑う。
もう、仕事は出来ない。
シズカな毎日を送る。

私は20代の終わりにはそんな時間の為に
と考えをめぐらせていました。
だから動けるうちに動こう!
学べるうちに学ぼう!
やれる事をやろう!
その静かな毎日の為に…

もちろん
体が動けるうちは体を動かし稼ぐ事を考えていました。
30代はじめまで…
しかし後半からは知的労働を考えるようになり
現在自宅で出来ることをやっています。
どんなに不死身だと想っていても
肉体は痛み衰えてゆく物です。
見た目が若くても体内は違います。

そして現在40代前半。
20代で育児が終わったからなのかもしれません。
体力があるうちの育児。

催眠ではありませんが
私はいつかは死ぬ。
ベットの上で・・・
(地面でとか廊下とか、トイレだったらイヤかも)
理想は白いシーツ
綺麗なシーツの上で眠るように苦しまず終わりを迎える。
その時 一人は絶対 嫌。

パートナーの手のぬくもりを感じて目を閉じる。
コレが理想であり幸せの最後じゃないかな?
どんな人生であっても最後の瞬間
誰といられるか、私にはなんとなくこだわっているのでした。

老後の生活
そして最後の日。

皆最後の日を迎えるカウントダウンがあります。
でも今だけを見つめていると道に迷ったり
大切なパートナーや家族を見失う事になる。

沢山の悲しむ姿を見たくない私はたった一人だけ
手を握って愛を肌で感じて眠るイメージに向かって生きています。


実はコレって皆もそうなのかな?と想います。
考えたことが無いだけで
考えると同じだったりするのかな?と…

そしてもちろん私も相手に対してそうありたいし
そうしていく覚悟も出来る。

老後の為に乗り越える生活
話し合う時間
そして終わりの日のための絆って
意識していた方がいいと想うんです。

パートナーを大切に出来るから・・・
そしてありのままでいられるから・・・

シングルマザーを応援します。

世間体ってそんなに大切?
世間体より未来の幸せを考え離婚をしました。(2年前)
別居1年、離婚1年
別居は誰にも言っていませんでした。娘が知っているくらい。
それは心配をかけるのがいやだったからです。
別居で何かが変わるかと思えばパートナーは変わらず
それから1年後 結局離婚しました。
世間体は気にならなかった私も
離婚をしたら世間体の風に当たりました。

経験して見えてくるとはこの事です。
身内から不仲でも離婚しないで
頑張っている人は攻撃されました。
我慢が足りないとか!

我慢ってなんだろう?
沢山の我慢してきた人を知っています。
大切な人生を一生我慢するって・・・
我慢を選択する人もあり
我慢を選択しない人もありだと想うんです。

どれだけ内容を説明しても当人しかわからない苦痛
人事なら簡単に我慢しなさいと言える人達
それが世間体。

離婚する前
シングルマザーの大変さを知っていました。
それは知っているだけであり体験はしていません。
しかし1年間離婚後のシングルマザー体験をしっかり
体験しました。
それは世間の目です。

我慢派は非難しました。
医療関係も保健書を見て説明や対応に変化もありました。
結局信用や信頼なんでしょうね。
私の場合は子供が大きくなってからなので関係していませんが
子供に問題があると親の離婚やシングルマザーだからと
原因を押し付けてくる話もありました。

両親がいて問題を抱えている子供は?沢山いるのに?
その決め付けの目(世間体)は恐ろしい物を感じました。

だからシングルマザーと聞くと
大変さや強さも同時に感じます。
そんな逆風も乗り越えて過ごしている人。

他人の目や我慢する事を中心に
しならない間に子供に我慢を刷り込む事にもなる家族。

離婚は悪い事なんだろうか?

恋愛は?失恋や恋が終わった事と何が違うのだろう。

高齢社会に向けて私は未来を考え
不安が募るから経済の幸せより
信頼あるパートナーが重要ではないかと考えると

現在の世間体は原始的なようにも感じてなりません。

多くの手続き
多くの批判
多くの人の目
それは他人の人生観であって
自分の人生は他人の目が必要なのだろうか?

時々頑張っているシングルマザーと出会います。
私は1年で脱却してしまいましたが
何年も頑張っているシングルマザーは
私なんかと比べ物にならない経験値があるように感じてなりません。
頭が上がらないとはこの事ですね。

過去の友人で
シングルマザー3人の子供を育てている同級生がいました。
旦那さんの援助もほとんど無く強く生きていました。

父親のように働き
母親として食事と世話をする。
女として恋をしたりして
私には到底まねできません。

そんな姿を見ていたからかな?
シングルマザーに出会うと応援したくなっちゃいます。
つくづく女って強い生き物だと感じる。



人生は生きてきた書物

セラピストをしていると
その人の人生をドラマのように
客観的に見つめる事になってゆきます。

今の状態から話をさかのぼって
出来事を大まかに話してもらう。

その人の人生のタイムラインを書いてゆく。

そして未来にはどうなりたいのか?と予測の話もしてゆく。

すると
何故それが起きて
この先何を注意すべきなのか?
その人の癖も見えてくる。

10代の相談は10年をさかのぼって話を聞くことが多い。
しかし、30代40代になればそれだけ出来事も多くさかのぼる。
そんな時私の役割の話をする。

今、私は43歳。
幼少期は娘としての私がある。
社会人としての私もある。
恋をしていた時の女としてももちろんいる。
結婚をすると妻としての私。
子供がいれば母親としての私がある。
仕事を持っていればセラピストとしての私がいる。

私はそれぞれ自分の気持ちを分離して見つめる癖があるので、
相談者にも当てはめて説明します。

その自分が占めていて頑張りすぎていたか?
どの部分が欠如して頑張りすぎていたか?
お話をしていると見えてきます。

そして最終的な全てを含み価値観。
人としてのものや経験や体験から
環境から得た人それぞれの価値観があって
私や貴方があることを説明します。

きっと中年期の私と老年期の私も
この先しっかりと出来上がることだろう。

私の人生も波乱万丈ですが、誰の人生も波乱万丈。
客観的に見つめる人生のドラマには
必ず今の自分へのサインやメッセージが
あるように信じている私は
セラピストと言う職に関して
出会うクライアントさんに関して感謝を感じます。

人生はドラマです。
生きた書物を垣間見るようなものです。

最後のシーン
エンディングをどうしたいのか?
それさえ見つけられれば勇気さえあれば
人生は変えられると信じてお話をする私。

でも不思議な事がある。
偶然は必然と言われるが私はこう考ええるようになった。
セラピストをするということは扉を持っている。
そこに訪れる人は意味があって・・・
その意味は
会話の中で見つけてゆかなくてはいけないが
その意味は私にはわからない
私の人生に関するサインだと想っています。

そしてクライアントさんも答えを探し
私とであった意味が必ずあると
私も持っている情報や
気持ちや思いを話す。

すると、素敵な時間を共有する事が出来た時
お互いがいい物を受け取って
別れの時間がやってくるような気がします。

だから、私は自分に与えられる物があるから
出会えると信じています。
それを見つけ出せるまで真剣に話を聞きます。

共感も私自身が体験している事も多く
ココロの底から感じて言葉をかけてあげられます。
ココロを扱う事は、感受性が高いから
嘘や知ったフリは通用しません。

私はその人の人生の通過点に登場する役割であり
沢山の人生を見つめながら
いつまでも終わりの無いココロを中心に
生きてゆくんだろうな~とつぶやいていました。

心を捨てたら・・・
メンタルを捨てたら・・・
今の私って誰?何者になるんだろう?
過去暦って大切だね。様々な過去顔をもつ私。










わんわん渋滞

犬を飼い始め5ヶ月あまり・・・
散歩を始めて1ヶ月かな?
はじめは歩かなかったわんこですが歩き始めて
現在ではやんちゃな時期
トイレのしつけも終わり毎日日課となった朝の散歩
私もそんな事やれる年齢になったんだと
自分を褒めている今日この頃です。

犬の為が、実は自分の為にもなっています。
朝の空気は美味しくて
一日の始まりの午前中は有意義に過ごせます。
朝日を浴びるって健康にもよいのが実感できます。
早起きは何よりですが・・・

そしていつものコース30分

まず小さな公園から…
すでに通過した訪問客(わんちゃん)
形跡があります。足の爪あとだったり
草が倒れている大型犬
その小さな公園を後にするとより大きな公園へ向かいます。

小さな公園を出ると後ろから
次のワンちゃんが入っていく姿。
軽い渋滞です。
(^^)
大きな公園へ向かうと
最低でも3匹の犬は散歩中。
右回りもいれば左回りで散歩している。
そして真ん中を陣取って飼い主が楽しんでいる姿など

愛犬家達は気軽に声をかけてきます。
会話は犬の事が中心。

何ヶ月ですか?から始まり
犬どおしが匂いをかぐ
尻尾を振っていれば安心してみていられる

最後にありがとうございました。と立ち去る数分。

たまに吠えている犬がいる。
すると無意識に飼い主はそれを避けて散歩する。
マナーなのか?ルールなのか?
見えない犬の世界観がある。

ココで学んだのは、犬を飼っている人で
散歩をさせている人はイイ人だと感じる。
犬の気持ちを考えている人だからだろう。
だから、いがるに声をかけてくれて情報を教えてくれる。

声をかけられることになれない私ははじめは戸惑っていた。
でも次第に慣れてきて疑問は直接先輩にと考えるようになった。
初心者なのだから・・・

犬は初めて飼うのであまく見ていた。
子供を育てるように感じる時がある。
言葉がいえない分わかってあげなくてはならないが
犬とはいえちゃんと意志があるのをここでも感じた。
(^^;)以外と大変。

散歩が楽しみのようで
散歩に連れて行ってくれる私にはべったりになった。
嬉しいけどウザイと感じる事もある。
そんな時、子育てを思い出す。
ハイハイする前
そしてハイハイくらいかな?
見えなくなると泣いたりした時期を思い出します。
そのときと同じで育児の大変さを思い出されます。

話は脱線しましたが
散歩は30分ほどの時間で終わりますが
日課と言う物は自分にとってとてもいいものだと
感じるGWでした。

桜から始まり歩きながら季節と花の観察も出来ます。
今までは何だったのだろう?
コレも年齢的なものなのかもしれませんね。
(^^)散歩。一人ではおかしなおばさんになる。
でも犬と一緒なら言い運動にもなるし、犬にもイイね。
一石2鳥じゃない!

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筆者プロフィール

HN:
chieko
年齢:
59
性別:
女性
誕生日:
1967/03/05
職業:
メンタルセラピスト
趣味:
心理・超心理・脳科学・宇宙・ミクロ・DNA・DVD鑑賞・グラフィックアート
自己紹介:
田中千栄子
愛知県名古屋市で生まれ
現在大阪市内で再スタート中!
成人した女の子二人手が離れてやっと自分の時間と思ったら初老の始まり…(^^;)


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