深い想いを感じた時に言葉にしたくなりUP。気持ちを残しておきたくて…。
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空間がほしいとあれこれ考えていた年明けから
やりたいことを語っていた友人と私
そのやりたいことである空間(場所)が見つかりました。
直感は突然やって来ます。
あれ?ココでやりたいね。
その何気ない言葉がココで見つかる。
その時はありえないと思っていたけど…
時間が流れて
何気に口にした言葉から
友人は調べる。
するとそこに正しく空間が…
視察に行こう!と話して集合。
中を覗いてあれこれ考えを巡らせる。
そこから一度聞いてみようと話を聴きにゆくと…
いつがいいですか?すんなり予約状況を確認して
日時と場所をおさえ始めた私達。
ん。。。これでいいのかな?
わくわくしながら笑顔で申し込みを済ませていると
係の人も親切に説明してくれます。
笑顔と私達の雰囲気に安心したのかな?
あまり詳しくも聞かれず4日分押さえてしまっていた私たち。
4月5月を押さえて
何をしようか?とあたふたする私たち。
いきなり視察から直感で決まって・・・
過去にやりたいね。と想う願望はすんなり決まってしまった。
何に誘導されたのか?
お互いの直感とワクワクする気分が同じだったからだと感じる。
子どもの時にわ~~!!!とはしゃいだあの感覚にも似ている。
わ~~!!やりたい!!
わ~~~!!やるやる。。!!
やろう!!!
どこでやる??
あれ?あそこは?
あ!あった。。。
やろう!そんな流れで解決した。
悪戦苦闘という言葉はココにはない。
努力とかは無い。
もちろん何かをするには努力は必要だけど
空間が決まるこの問題に関してはなんだか川の流れのようにたどり着いたような気がしてならない。
きっと彼女もそう感じているのではないだろうか?
直感や偶然は時に流れのようにやってきて私たちを何処かへ少しずつではあるけど導いているのかもしれない。
すべてがこうなら楽なのに…
でも、この感覚のまま進めばいいのかな?
未来が分からないだけに直感や感覚は大切。
そして友人や人の意見も大切にしなくてはいけないと感じる。
特に私は脱線しやすいからな~~。。
直感がこのままでありますように。
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先日私の44歳誕生日がやって来ました。
お祝いはひっそり
でも嫌なことさえ起きないように自宅にこもっていました。
娘からは数日前
ブログで「おめでとう」の言葉を見ましたが
下の娘は何を考えているのだろう。
そんな家族。
結果
自宅ではダンナさんと言い合いになって
散々な誕生部を迎えました。
しかし
FB(ファイスブック)ではとんでもないことが起きています。
数日前からちらほら
誕生日のメッセージを頂いていましたが
当日
とんでもないことが起きました。
いいね。という機能だけではなく
話もしたことがない人まで私にコメントを沢山書き込んでくれたのです。
もちろん裏のメッセージボックスにも30件ほど
それだけではありません。
ウォールと負う場所には数えきれない数のコメントが…
おめでとうだけではなくその人の言葉が添えられたものまで
いいね。だけでしたら1秒で済むのに
コメントを入れるということは
こんな私のために数十秒から1分や2分はかかっただろうと思えるものまで
それがどれだけ嬉しく
それだけ感動して
多くの人が大きなウェーブになっているこの繋がりに
私は驚きました。
いつも誕生部は逃げていました。
一人旅をしてみたり
仕事が入ったり
熱を出していたり
なんだか良い記憶がないからこそ
今回はしんみり来た瞬間でした。
FBといえば今の時代のもの
しかしその新しい物にもこころの感じることが
あるのを実感した私の体験でした。
嫌なことと嬉しいことが交互に来た1日の誕生日でした。
しかし次の日はなんだか違う1日からのスタートで気分が良かったです。
それが前に書いた太極拳での先輩との時間の共有
なにか違いを感じる44歳1日目でした。
FBは距離感があるけどそれがいいのかもしれませんね。

今、太極拳を習い始めて3ヶ月目になります。
今日は関西の太極拳の春の集いに出かけてきました。
450人ほど人が集まりそこへ参加したのです。
実はセミナーやおはなし会での参加は度々ありましたが
今回のように習い事での集まりは初めてでした。
今回習っているところは50周年を迎えるという大きな団体でした。
そこに集まってきた人達は過去の空間では考えられないような
柔らかさを感じました。
教えをしていた方の気持ちが伝わっているからでしょうか?
そしてその中でも今回関わる人達の7人の人柄にも
この人達で良かったと心から思うそんな感覚もありました。
生涯でなかなか出会えないような感覚があります。
皆が穏やかなんです。
一人ひとりが気遣いがあり踏み込まず関わるその姿勢が
長くやって行けるコツなのかもしれないと感じました。
時々垣間見る先輩の言葉
それが何よりためになる言葉が散りばめられています。
60代70代80代の方達はやはり貫禄が違います。
今回の師範の方も私は大好きです。
そんな見習いたいような先輩なのですが
私は過去子どもに空手をさせていました。
私もやりたいと試みますが戦いが嫌いな私は手を出さず
娘も黒帯まで行きましたが今でも本当によかったのか?と
振り返る瞬間があります。
本当は子供たちにもこの太極拳と出会っていたら
穏やかな性格で要られたのではないかとさえ感じるほどです。
ゆっくり動く太極拳は
今の私でも流れが乱れます。
心が焦れば動きが早くなります。
心を安らかに保つことそれはココにあるように感じて…
いつも世話をしてくれている方は母の若い頃に似ていて
なぜか安らげます。
もちろん母の良い部分だけをとった感じですけど。
その人の話を少しだけ聞きました。
手話を勉強しててボランティアをしている話です。
太極拳だけではなく手話までも・・・
驚きばかりです。
子どもが手話をしていたな~と思いだしたり。
ボランティアに行っていた過去の自分を振り返ったり。
私は何か道を間違えているのではないか?
そう振り返らせる時間を今日は過ごしていました。
人生の先輩は直感的に話します。
穏やかに気持ちや体験の聞かせてくれるから私はとても素晴らしい時間を共有できたと感じながら帰宅しました。
高齢化社会での太極拳はとても大切でもありますが
子供たちもしてほしいそう想う私です。

Fecebookをはじめてどれくらい経つのだろう。
はじめは意味がわからなくて手もつけない日が続いた。
でも、友達が増えて「いいね」やコメントなどを貰うと嬉しかったりして挨拶のキャッチボールが流れを感じて夢中にさせてくれます。
もちろんウォールに書き込むことも大切で
気になる人にはもちろんコメントも大切。
私はミクシーで学んだことがあります。
今は友達申請をされてOKをしていてもまったく関わりが無かった人も
何かの弾みで関わる事が突然あり先はどうなるかわからないな。と。
だから・・・
友達申請があるとき私は外人以外はOKにしています。
何故外人は駄目なのか?
まったく英語ができないから…
もしも英語ができたら英語圏の方ともOKを出すだろう。
そして日本のFecebookで現在話題になっている
友達申請を知らない人からの申請はありなのか?
おかしいのか?などとの話も耳にします。
いろんな人がいていいんじゃないかな?
でも私は申請されてありがたいことだと感じるので
OKしています。
逆の立場で気になる人がいて
申請してOKがもらえたらすごく嬉しい。
写真と情報そして日常のウォールを見て
友達申請ってありだと想うんです。
そこから違えば削除するもよし
まったく関わりが無くても
数ヵ月後 ふと想い出してコンタクトだってありだと想うんです。
きっと
私の使い方がおかしいのかもしれないですけど
もしも困った事があったとき
その分野で活動している人に
直接メッセージできるって素敵だと想うんです。
だから知人は沢山いたほうがイイ。
そう想う私です。
友人になるかならないかは知人からスタートで。
Fecebook の友達承認って知人なんだとおもいます。
でも知人としての承認ってなんかよそよそしいからこそ
友達承認それでありかな?と。。。
先日ある人が…
「時間があるのでかかわっていない人を今から削除します。」って
ウォールを見ました。
その時の私の心の思いは…
今は関わらなくてもこれから
この先に関わるかもしれないのに。。。
そんなもったいないな~と言うおせっかいな気持ちでした。
きっと色々議論されているからその影響もあるのかもしれないけど
友達って
関わっている人も大切だけど
これから関わる事ってもっと大切なような感じがしています。
関わりのウェーブだって起きて
今関わっているけど関わらなくなってよそへ行き
その分他の人が関わるなんてことも感じる。
沢山の人がいて
沢山の流れがあり
情報もあって入れ替わってゆくんだと
ミクシーで感じました。
だから私はFecebookではお友達申請をありがたくお受けしています。
友達申請だって結構面倒だと想うんですよ。
人それぞれの意見がある中
私は何を見て何処まで考えての意見なのか感じたりする瞬間でした。
今書こうとしている
「本当にそれでも友達ですか?」
に関係しているな~と。
電子書籍の執筆へ繋がって行く私です。

先日「奥様は魔女」のDVD創刊号を購入しました。
6話入ってお買い得でした。
昔のファンタジーに興味があり
しかも、その作品は
私が生まれる前に放送されたものです。
日本でも放送されてはいたものの白黒だったとか。
それが2年かけてシーズン1シーズン2と
カラーへ復刻の品。
それだけでも気になります。
価値を感じます。
早速、出会いから始まり古さを感じないのはなぜだろう?
愛をテーマに「ダーリンが喜べば私はいいの。」と言う
サマンサのけなげな様子が新鮮です。
お母さんの魔女が言うセリフもうなずけるところがあり
今見ても楽しい話ばかりでした。
FBでの「奥様は魔女」の話題では
「子供のとき見ていた。」とか
「朝見ていた」とか。
沢山の意見を貰い
シーズン3では女の子が生まれるようです。
ほのぼのとしたコメディですが
私は見ていなかったので
今から埋めているような気分で見ていました。
アメリカの近所の人達の関係や
夫婦関係などとても面白いです。
忘れかけていた物を何か感じるのは私だけなのかな?
魔法は簡単なものでも苦労を感じるものもあり
見方がまったく違います。
DVD。古い作品ですが奥深さもあります。
私達が忘れかけていた何かがココにある様な気がします。
意地悪そうに見えるお母さんは
娘思いなのも感じられます。
今後の展開が気になります。

娘のお友達からお米を貰いました。
計ると30キロ。
精米していないのでと申し訳ないまま持ってきてくれました。
いいえ。とんでもないです!
コチラで精米に行きますから!
そんなやり取りが…
そして唯一大阪での知り合いの友人に
「お米あるから貰ってね!」と告知。
「でも精米していないのよ!」
「え!嬉しい。」
何で嬉しいの????良く分からないまま。
袋を開けると・・・何だか緑の物が混じってて
カビ????
米屋さんに聞いてみる。
すると若い米だから精米できますよ。とのこと。
へ~~~。。。
先日友人に誘われ脳ヨガへ
ヨガの終盤に温かい袋を丹田に置かれて
心地よくなり、早々終わった時にこれは何ですか?
と聞くと玄米よ!と言う
袋に玄米を入れてレンジでチン2分。
その温かさやぬくもりに感動。
即席カイロ
友人が30キロあるじゃない!と言う。
え?あれが玄米なの?なんと!今更知る。
でも信じられないまま。何が何だから理解できていない私。
するとそのまま友人は玄米食のお店に連れて行ってくれました。
そこで若い女性に
変な事、聞いてもいいですか?とたずねる。私。
玄米って白米の事ですか?
すると丁寧に「そうです。」「あまいですよ」と笑顔でこたえます。
私は玄米を本当に30キロ持っていたのだ。
4キロ友人に渡す為に持ってきてて
これが?玄米。
そこで玄米ご飯を出しているので
炊き方の紙も親切にいただきました。
発芽玄米の炊き方です。
なんと贅沢な。
私の中では高級なのです。玄米。
癒しの世界では有名な玄米
それがココにあるのが不思議でなりません。
全て情報がそろったところで
本来は白米にするはずだったのですが
現在はもったいなくて玄米を炊くことになりました。
ただ身近にあるのに知らなかったことを知るこの喜びは
自分でもびっくりです。
玄米は白米なのね。
水に2時間つけ
そのまま水を切り1日冷蔵庫で眠らせる。
そのままジャーで炊くらしいのです。
明日の夕食は
初めての玄米ご飯100%になります。
おいしくできるのだろうか?

太極拳2回目を終えて隣にある住吉大社へおまいり。
名古屋にいたときも住吉大社のよさは聞いていました。
実際 その住吉大社内にある会館に通うなんて…
せっかく来ているからと始まる前か後にお参りしようと決め
今日も小銭を握り締め手を合わせる。
すると、太極拳の師範の方がいらして…
気さくに声をかけてくれました。
声をかけてもらえるということはありがたいことです。
この年齢だからでしょうか?
そう感じつつお話をしながら手を合わせていました。
住吉大社は4つの社があります。
話の中で「住吉大社は海の神様って知っていますか?」と聞かれ
「いいえ」と答える私。
1社は海の底
2社は海の中
3社は海の水面の下
4社は水面
知らない話に得した気分でした。
しかし話は心の底から話しているその気持ちの温かさやぬくもり
優しさ、本当の神を信じる気持ちが伝わりました。
人から伝わるその心なのか?
涙が溢れてくるのです。
何故なのか?分からないのですが還暦を迎えると言うその女性。
母よりも若いその女性から何か目には見えない
真実の強い思いを感じました。
私が2度目の人の前で涙を流すなんてありえないのですが
神の前だからなのか?昨日のヨガのせいなのか?
今日の太極拳のせいなのか?
それは分かりません。
その人を感じると涙が出るのです。
今も数時間前のことを思い出すと涙が流れてしまいます。
きっと何かを感じ受け取っているのでしょうが
そんな姿を見せる事が恥ずかしくておかしな感覚でした。
笑いながらすいません。と言いながら
涙が止まらなくて!と。。。
はずかしい住吉大社、社前でした。
明らかに理由が分からない。
何だったのだろう?
次回会うのが恥ずかしいのですが、3年前になくなった本家の師範の話を聞いたからなのか?
その人の家族の話を聞いたからなのか?
その人の心を感じてしまったのか?
それとも私の心が潜在意識的に何かを感じたのだろうか?
そんな不思議な出来事がありました。
きっとその答えは今後分かるのかな?そんな気がしています。
涙が流れるその理由とは不思議な感覚。

離婚をする前は本当に体調もよくなく
結果的にも元気に振舞っていても
血液検査はごまかせませんでした。
どんどん悪化していく体のサイン。
そこからリラックスを心がけて気疲れする人を
避けていた時期があります。
そして
友達も変える事になり
パートナーもそうです。
環境全てが変化しました。
引越しも愛知県を飛び出して大阪へ
しばらくすると地域に自分がなじんできます。
愛着心なのでしょうか?
そして新しい自宅にもなじんできます。
引越しが好きな人の気持ちも
分からなくはないですが
年齢的に引越しも疲れますね。
ここでの老後を考えながら
自宅の環境を一番考えます。
過去は自宅の環境より外出のことばかりでした。
家にはほとんどいませんでした。
今回は自宅で過ごす事の快適さを求めていると
食事を作るための道具
ホームベーカリーに挑戦しました。
毎朝のパンを探し回っていると疲れてて
自分で焼く!と言う具合です。
パンなんて過去の私には考えられません。
グラムを測ってそのとおりにやらないと失敗なのですから…
しかし現在は穏やかな生活をしていたせいなのか?
グラムを計れます。
年齢的なものなのでしょうか?
あれだけ植物を枯らしてしまう私が
ビニールハウスを注文して育てています。
何がどう違うのか?自分は変わっていません。
きっと人は年齢的なものではないかといいます。
確かにそうなのかも知れませんが
明らかに過去にはありえない部分でした。
それだけ現在は穏やかに暮らしている証拠なのかもしれません。
ココロが穏やかと言う証なのかも。
自分はなにが好きで何がしたいのか?
そして自分は何者なのかを認識しているからなのかもしれません。
過去は無理をして演じて
家族は誰も私という存在に気を使う事すらなかったのですから。
時に気を使う事も大切ですが
気を使われる事も生きるうえでは大切なのかもしれません。
それが目に見えない愛がループしていて癒されているのかも。
だからこそ
愛を与えられる植物や食事の支度に
変わるのかもしれませんね。
過去には出来なかった事が
出来る自分になると言う事はとても素晴らしい様な気がします。
もs地論で着ない事だけではなくしなかったこと
知らなかった部分への挑戦も生きているうちに
目指していく物なのかもしれませんね。
過去の私がしてきた事+これからし始めたこと=新しい自分
いいえ
新しい自分ではなく
成長した自分なのかもしれませんね。
知らない間に変わる自分でした。

滝に出かけました。
ひとり日帰り滝の旅です。
始まりは、おみくじ凶を3回引いた事から始まりました。
そんな時は何か違う事がした自分です。
友人に話すと「マイナスイオンでも浴びといで!」
…色々お話をしていて、
ひとり滝に。。。
携帯があれば安心で出かけられる現在
GPS・メール・電話
それだけで不安はありません。
音楽を聴きながら
坂道をひたすら50分歩きました。
道・川・山・草木・鳥・風
道行く人
音楽は気分を爽快にしてくれます。
まるでドキュメンタリー番組のように
BGMの中歩いていました。
一人は
人に気を使う必要がありません。
疲れたらやすめばいい。
呼吸が乱れたらペースを落とせばいい。
そんな自由な気分が自分自身を見つめさせてくれます。
何より一人で何かをする事ほど
自分自身をすごいと思う私なのですが
それほど一人で行動が少ないのかもしれませんね。
初めて下から上がりました。
1度トイレ休憩をしたくらいで上がってゆけました。
滝には虹がかかっていました。
その虹は大きく気持ちが清らかになれます。
凶3回なんてすっかり忘れてしまうほど
自分の人生の時間をどう過ごすのか?
何を感じて何をするのか?
この足でどれだけ歩き思うのか?
帰りは達成感からなのか?
途中のお寺に立ち寄ったり
梅屋敷を見たり
展望台にのぼっったり余裕が出てきました。
行きはまっすぐ進み
帰りは余裕が出てきたのか?
変化が。
本当はその帰りの状態で
楽しまなくてはいけないよと言われている様な気がしました。
一人で出かけるたび
いいものですね。
日帰りが精一杯ですが・・・

先日、箕面に住んでいらっしゃる友人宅へお邪魔しました。
私にとって、そのお宅は別荘のような気分になれる場所。
山が前にあり、大阪が一望出来る素晴らしい場所なのです。
空気も澄んでいます。
私にとってのその友人はかれこれ2年ほどになるのかしら?
年齢が上でおねーさん。
気持ち的に甘えられる存在です。
ここ1年ほど時々お邪魔させていただいて
長時間お話をして帰る私です。
今回その友人の両親が作ったお餅をいただいて帰りました。
そのほかにも沢山いただきましたが、
草もちを焼いていただいた今
感じたことを書きたくなりました。
ただ、ものをいただいたのではなく
その作る様子を聞きました。
もちろん友人の両親の様子です。
無意識に自分の両親と照らしてみつめていました。
私の両親はかれこれ5年ほど前にいきなり蒸発しました。
犬を連れて…7人の娘に連絡もせず。
そんな母親です。
もちろん私も母親になりましたが一生懸命育てて来ましたが
今回「親がどれだけ心配していると思うの!」で喧嘩をしました。
その出来事もあり話を聞いてもらいに友人宅へ。
友人はお餅を焼いてくれました。
年末に両親が14キロのもち米を炊いて丸めて作業したお話。
今回ホームベーカリーを年始に購入して
お餅も出来るので作ってみましたが
丸めるだけでも熱くて大変でした。
その作業の話を聞いてご両親と家族が集まって作る光景が家族を感じました。家族の為に集まる人たち。
もちろん面倒だな~と思う人もいるけど何も言わず集まる。
そんな事もあったな~
でも、私の両親は違いました。
私にはそんな両親はいませんが
目指す人はこちらの両親だなと。
今年はお餅をデパートで購入しました。
きっと手間と材料費を引いたらデパートの方が安いのかもしれないけど
親の想いや気持ちが伝わる本当に大切なものはこれではないかと深く感じました。
言葉で思うということを伝えても心には残らない。
でも、その作業をしている姿を考えると
二人暮らしの人が14キロものお餅をなぜ一生懸命作るのか?
そこには日本の風習と親の気持ちが沢山
言葉ではなく織り込まれている様な気がしました。
家族愛を超えた伝統の中のお餅の味を感じました。
お金で手に入るけどそれを選択しない事は
一番の究極の贅沢なのかもしれないと感じました。
今回は自分の家族以外の家族愛に触れて
それもとても幸せな事ではないかと感じます。