ミセスdeコラム

深い想いを感じた時に言葉にしたくなりUP。気持ちを残しておきたくて…。

ご報告です。

日本メンタルセラピスト協会の
お手伝いをさせていただく事になりました。
http://www.jmental.com/
コチラのブログに移行させていただきました。
http://www.jmental.com/blog/index.php
しばらくコチラはお休みをさせていただきます
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秋だから・・・心切なく感じる。

朝晩秋らしくなって・・・
草木だけではなく
私達の体も心も何か変化を感じ始めている。

こころは夏よりも秋や春に
人それぞれの変化を感じやすくなる。

だからこの秋に冬に備えて
何かを始めたり目的を持って意識しないと
誰もが心は切なく感じる。

夏を思い出し・・・
活発な時期を振り返るように・・・

心の相談は
時には皆、
自分だけが寂しく感じたり
切なくなって不安におもう。

でも実は・・・

人間の体は心と繋がっていて
季節も感じて「誰もがそうなっているんですよ」と話しています。

こころは早めに気がついて
そうなる前に何か目的を見つけたり
何かを始めたり
なぜ
秋は読書・食欲などよく耳にする言葉ですが
室内で出来る事の準備でもあるのかもしれませんね。
楽しさを見つけるってとても大切な事でもありますね。

大人になると
真面目になりすぎて
心の自由を時々見失う事があります。

もちろん
こんな私もついつい
意識しないと部屋にこもりがちになってしまう。

それは誰も同じなのかもしれません。
人と語る
人の意見を聞いてみる。
人の集まる場所を探してみる。
そんな事を積極的になってもいいのかもしれませんね。

どう時間を過ごすのか?
大切な時間だからこそ
見つめ続けてゆきたい秋の空気。

無意識から見えるその人の心

こころは見えない。

見えないからこそ相手を観察してしまう。

表情や全身の動き

呼吸やその人の言葉を

より理解出来たらと・・・



そう向き合っている。



その姿勢が癖になると

仇になることがある。



その姿勢はあくまでも

本当にセラピストとして

必要としている人のみ受け入れられる。



ついつい

身近な人に対してしてしまうと

嫌な部分まで知る事になる。



深層心理が無意識となって表現される。



本人も気がついていない部分が表現される。



些細なそれに気づいてしまうと

時には何とかしなくてはと思い

時には手放さなくてはいけない事がある。



時々それに気がつかなければいいのにと

自分を責めることがある。



人に対する相談も実は同じものを抱いている。



何かに気がついて葛藤する。



これでいいのか?と。



人の言葉や自分の環境など

何かに気がついて問う。



それに気がつかなければそれでいいのに・・・。



気がついてしまえば

どうする?と問われる。



もちろんどんな選択もありだとは思う



それでも

自分に問う。



時には感情を揺さぶられて

自分を責めることもがある。



人生はいろいろ選択と決断で試してくる。

大切な時間を使って人は流れている。



人が無意識になった時

心の奥底の声や叫びが隠されている。



きっとそれは

目を開けていても起こる瞬間を見逃さない人にしか

わからないのかもしれない。





感受性の高い人や

いつも意識を保っている人ほど

意味や理由などクリアな目で

意識が起きている人は誰もが気がつく

シーンなのかもしれない。



人は無意識の時が

起きていてもある。



見えない心は

見えないからこそ

感じる事が何よりも大切です。



でも本人も感じる事が出来なくなると

その本人の心は感じてもらえそうな人へ

時々無意識の瞬間に訴えているのだろうか?



受け取っても

本人が受け取れない時は

いつも「ごめん」と心の中でつぶやいてる。



見えない心を伝えるにも

限界があり無力感を感じる。



結局 いつまでも学びは続くのですね。

誰もが持つ天命

ここ数日
天命と言う言葉に
触れている。

偶然何度も…。

偶然は必然?

ただ自分がそこに
敏感なっているだけなのかもしれない。

天命とは
天からの命令なのか?

改めて調べてみる。

「生まれた時から定まっている運命。
宿命。
天から授けられた寿命。 天寿。
天の命令。天から与えられた使命。」

やはり
天からの使命である。

時々自分でも不思議な事が起きれば
何か見えない力がどこかにあるような気がする。

その見えない力とは
心も同じジャンルに思える。

心も見えないから…。


天からの使命はきっと誰にでもあり
そしてその使命はひとつなんかではないような気がする。

もちろん誰かと出会う事や
誰かと話す事も含めて
人としての使命も
沢山誰もが持っているような気がする。


人によっては
人を愛する事が天命の人もいれば
愛される事が天命の人もいるだろう。

家族愛を感じる天命もいれば
人類愛を知る天命や
自然と繋がり知る人もいる。

しかし天命はひとつばかりではなく
身近な自分を中心に
広がって永遠にあるのかもしれないとふと思う。

天は天で感じられない部分を
3次元のこの地上で生活する私達に
体感してほしいのかもしれない。

人間の大切さから
この地球と宇宙を・・・
認識できるものを・・・

天命とはもちろん
何かを目的としているのかもしれない。

しかしそこには
必ず
「人生を楽しみながら」
天命に触れる事を
天は伝えているような気がする。

楽しさの中に天命の道は
あると思うから…

きっと天は人生を楽しみなさいと言っているはず。

天命の為に…。

受け取る心は変化する

心は移り変わる。

なぜ変化するのだろう?

そう思うのは
昨日の1シーンからだった。

現在新しい協会をみんなの力で製作しています。
そしてHPの管理・製作やブログなども沢山の人が
関わっていただいている。

その他にもいろいろ。

その中で
ツイッターの発言について
注意を受けました。

その時は言い訳をしていましたが

「でも…。だって…。」

見られている恥ずかしさの中で
ついつい言い訳していた自分。

帰宅して夕焼けを眺めて振り返る。

後からひとり振り返ると
変化していく。

意見を言ってもらえるその否定的な言葉の中には
真剣さや客観的に見つめてくれている部分に
ありがたさを感じる。

過去に長い付き合いの人から
「セラピストはそんな簡単なものじゃない!」と言われ
喧嘩した事がありましたが…。

でも実際そのおかげで
模索してがんばってこれたような気がする。

実際は上司でもないのですが
私の中では意見を言ってくれる人は
それが正しくても正しくなかったとしても
現在は上司として見つめて
なんだかありがたく受け取れています。

そうできるのは
一人では何でも限界があることを
知ったからでしょうか?

それとも
意見を持って言ってくれる人が
少なくなってしまったからでしょうか?

時には私も人に意見を伝え
それが大切だと感じれば
否定的なことを言うからでしょうか?

否定的でもその人にとって
大切だと思うから言ってくれる。
その気持ちがやっとわかったからでしょうか?

過去に人の意見が素直に受け取れず
ぶつかっていた時期があるからこそ
今の自分の変化には正直驚きます。

とげとげしさを本人が自覚していなかったけど
あったんだな。と
誰も言ってくれないまま時が流れて…


気がつけば
そのトゲはきっとあるけど
先がちょっぴり
丸くなっているような気がして…。

そして現実的には
意見がある人に囲まれてる。

意外とそれが心地よく感じるのは
学ぶ事が沢山あるからなのかもしれない。

意見を言えるその人達から…。




なんとなくだけど
誰にも否定的な人って人生には必ず登場している。
それで苦しんでいたり悩んでいる人がいる。
そんな時期があってもいいんじゃないかと思う。
いつか「ありがたく受け取れるその日が来る」から…。
個性を磨いてくれているのかもしれない。
なにくそ!って思える、
そんな根性試しなのかもしれないね。







心は目には見えないけど隠れてる。

心は目には見えない。

でも、その心が
何かに表されている事は多い。

自己表現での中でのアートは
そのものかもしれない。

音楽を奏でる人達も…。
その他にも沢山ある。


では
日常の中で私達はの
心は表現されていないのだろうか?

心のお話を聞いたり
心の話をしたりの私だけど

その言葉以外でも見える事がある。

本人には気がつかない
その人の些細な心の様子。

無意識で送っている生活の中に
それは見える。

もちろん
日常の中での言葉や呼吸
挨拶の文章の中にも
歩き方や表情、しぐさ
動き、視線。

どんな所にも
その人の今の心は
何かを伝えようとしてる。

それは冷静な判断で
客観的に観察していなければ
見つけられないのかも知れない。

日常の様子を知っている人
だからこそわかる視点。

だから仲間や家族はいつも見つめてほしい。
傍にいる誰かの心の様子を・・・。
お互いが・・・。

自分では気がつかない事も多いから・・・。


人は様々な部分で影響を受けている。
良くも悪くも心も揺れ動いてる。

心は見えないから
どうでも言い訳じゃない。

心は見えないから
隠せるものじゃない。

心は形が無いからこそ
感情や表現や態度や浮かぶ言葉に隠れつつ
見えている。

わかる人には・・・。


心が落ちている時
心が弾んでいる時
心が動揺している時

隠しているつもりでも見えているんだと思う。

でも隠し続けていると
麻痺してしまい感情が
溜まって
突然切れてしまったり
突然の衝動になるのかもしれない。

だって心は見えないけど
皆 ちゃんとあるんだもん。

心はきっと誰かにわかってもらいたいんじゃなく
自分にわかってほしいだけだと思うの。

本当の自分の気持ちを・・・。

それが自分を大切にする事でもあるから。








蘇る記憶の欠片

私は催眠をかけることが出来る。
しかし、自分の断片化した記憶を
取り戻そうとは思ったことが無い。

必要ないから消えたと思っている。

でも時々
他人の記憶を引き出したり
広げたりする。

時には
現在ではない部分まで遡る事もある。
人間の意識は奥深い。

記憶にある中でも
意識は過去や今・未来と繋がっている。

私の場合は言葉で何かにフォーカスする。
すると記憶が蘇る。

しかし今回
私の断片化された記憶はアルバムで蘇る。
その様子を観察することが出来た。

視覚からも記憶を広げる事が
体感できたのだ。

アルバムに移る写真から連想する思い出
髪型や洋服その日の様子など
記憶は広がる。

忘れていた
記憶ファイルは遠くの引き出しにあり
その引き出しの場所が見つからない感じ。

人はどこに
フォーカスするかで決まる。
心の不安も記憶も
過去の想い出も。

だからこそ
催眠を扱う時や会話や言葉などには
気をつけている。

今回はタイミングが外部からやってきて
見つめなおす時期が来たと
自然に流れがやってきた。

もしも神様がいるとしたなら
鐘を鳴らして向き合う時期だと知らされた気分。

きっと断片化された記憶にも意味があり
時期もあるのかもしれない。

だからこそ
強引な催眠が嫌いな私はひっそりと活動している。

催眠が必要なのではなく

日常の中で蘇る記憶には
どんな内容でも受け入れやすいのかもしれない。

でも催眠が必要な人がいる。
それは忘れてしまった感情や感覚を
取り戻す必要がある人。

もちろん日常でも取り戻せるのだが
アンバランスな思考の癖がついてしまった場合は
催眠が有効だから。

真面目に考え過ぎると
人が人に影響を及ぼす部分が
良くも悪くも見えてくる。

何を表現して何を伝えるか
きりが無くなる。

だから最近のFBは
おふざけ姿の私になってしまう。

大人になると
誰もがどんどん真面目になる。

いつまでもユーモアーを
忘れないでいたいと思う。

過去の記憶をたどれば
無邪気さ・遊び心・何も考えず
はしゃいでいたシーンもある。

大人になっても
やっぱり取り入れてゆきたいと思う心である。













知らない友達の声と記憶

昨夜、地元で
同窓会の打ち合わせがありました。

4・5人集まって
それぞれが関わる人に声をかけて
次回、大きな同窓会をしようと
集まったそうです。

同級生とはいえ
記憶はありません。

本当に小中あまり記憶がなく…。

現在私は記憶喪失として
同窓生から聞き取り調査されています。

皆の記憶には私が存在しています。
私よりしっかり…。

そして
気がつけば
私は電話で参加していました。

声を聞いても
知らない人です。

しかし
相手は知っているので
気楽に話してきます。

どう接していいのか戸惑い
敬語になる。

あだ名や
名前を言われてもわからない。


相手はしっかり私を知っているようで
しっかりため口。

4人と話しましたが
さっぱりの私。

しかし不思議なことに
小学校の時に同級生だった人や
中学最後の時が同級生だったとか
何処かで関わっている人達。

明らかにわかるのは
小学校は明るかったようです。

中学校はおとなしかった。らしい。
いじめの記憶がちょっぴりあるので確かに正しい。

今不思議に感じるのは
この同窓生の人が親切だという事。

声をかけてきて
警戒する私に関わらず気軽に話しかけたり
記憶を取り戻そうとしてくれている。

皆に聞いて回っている。

調査によると
私は卒業後誰とも関わっても出会ってもいないのに
私のその後の職業を知っている。
何故だろう?
名前も変わっていたのに…。

その答えは直接聞かなければわからない。
誰にも話したことがないはずの
家の事情も知っていた。

噂とかって改めて凄いと思う。

そしてもう一つ面白い場面があった。
名古屋にはびっくり寿司と言うチェーン店がある。
そこで皆が集まっているのだが
同級生の一人がそこの大将になっていた。

実はそのお店。
大将のいるお店は
不安定な収入のモデル時代
昼間はショーのモデルで

夕方6時~明け方まで
そのびっくり寿司で
お弁当を詰め合わせしていた場所なのだ。
実家にお金を入れる為に
あの時は眠らず働いていた。

当時の私は
派手な仕事に恐怖があり
あえて地味なバイトをしていた。

それは自分自身が変わるのが
怖かったのだとおもう。

そんな記憶を思い出させてくれる
恥ずかしい懐かしい記憶。

結局
待ち時間が多いリハと本番の間に裏で
ウトウト本気で眠り
2週間で辞めてしまった場所なのだ。

おばちゃん達には昼の仕事を隠して
バイトしていた。

おにぎりをグラムで測ったり
あげを詰めたりしたような…。
夜が明ける頃
自宅に送ってくれる。
そして数時間して私は現場に向かう。

もちろん肌は荒れていたな~

そんな恥ずかしい記憶まで…。

その場所で皆が集まっている。

当時の私も今の私も
なぜだか自分自身が変わるのが怖いと思っている。

環境が変わっても
自分自身が変わるのが怖かった様です。

年齢や姿はどんどん変わったと思うけど
中身は変わっていないと思うけどな。

現在
必死に生きていた時代に
タイムスリップさせられています。

気学の人達に今年は外へ出なさいと言われている。
だからここは臆病にならず
次回の同窓会には出かけようと想います。

来年は自分から動けない年になるそうで…。

そんな事もあってか
今年は素敵な人との出会いが多いです。
今のBOSS(上司?)もそうですが、同級生も
習い事で出会う人達。
FBでのコメントやメッセージも
なんだか支えられてる。


まさか過去の同級生と出会う
繋がるなんて想像もしていなかったから
不思議です。

一体どうなっているのだろう?
偶然と片付けられない出会いです。








心乱れて

新しいことを始める。

新しい人と関わる。

素晴らしい事なのだけれど
何もかもがすんなりとは
神様は許してくれない。

そう。
人との関わりで
プロ意識のぶつかり合いが起きる。

様々なプロが存在している現代社会。

しかしプロ意識にも差がある。

もしかしたら自分にも人にも
厳しさがここで現れるのかも知れない。

どう生きてきたのかも
見えてくる瞬間なのかもしれない。

価値観と生き様が見え隠れしている。

見て見ぬふりが出来ないと
つい心が乱れる。

そしてものさしは自分が基準になる。

それぞれのものさしの
長さも違えば素材も違う。

それがぶつかり合ったとき
大人気なくなる。

そして落胆と反省がやってくる。

きっと社会に出ている人はみな同じで
人との関わりでもそうなのかも知れない。

しかし今の私には久しぶりの落胆だった。

終わったことは仕方がない。

 …

さてさてどうやって
モチベーションを上げればいいのか?
考える。

なかなか切り替えはできない。

話を聞いてもらう。
多少はすっきりするけど
なんだか収まらない。

読書でもない。

音楽も聞けない。

アートな気分でもない。

ペットとなんて戯れられない。


いつもならブログに
一部始終を書いてもいいのだけど
結末さえもない。

結局行き着いたのは
Yahooメールチェックをしていた。

すると…
新適塾(難病への挑戦)から
メールが来ていた。
講演会です。

テーマは
「オートファジーを標的とした
難治疾患克服への戦略」と書いてる。


その瞬間
こころと思考は切り替わったのがわかった。

興味あるジャンルである
細胞レベルの研究結果報告会の情報に
いきなり心も感情もひとつになった。

いつもの自分です。

自分でも笑えるほどそこなの?と
自分を疑う。

あるものではなく
新しい情報が人の思考への切り替えを
もたらすのかも知れない。

飛び込んでくるような情報。

もちろんその情報に対して
即 参加申し込みをしてわくわく気分になった。

私は単純な人間なのかも知れない。

だってもう落胆な気持ちや
下がったモチベーションはここにはない。



大きく扉が開く時

1年の中で日本中が
この時こそ失った人を思う日は他にないだろう。

お盆でもあり
終戦記念日を迎える今日。

戦争の事は私はわからない。
体験していない者である私は
話を聞いたりしてほんの少し共感できるくらい。


そして
実は身内で亡くなった人も友達も知らない。
唯一ペットの悲しみだけは知っている。

きっとペットの悲しみでも
心が張り裂けそうだから
私には耐えられないから
まだ起きていないと思っている。


だからこそ
このお盆や終戦記念日には
人の気持ちがより美しく感じる。

失った家族や先祖を思い集まる。
失った人を思う。
多くの命を失った歴史を思う。

忙しくしている日常では
忘れ去られている世界も
この時ばかりは扉が開き
あちらの世界と繋がる。

きっといつも繋がっていて
共存している世界なのかも知れないけど

この時ばかりはより繋がりが強く感じる。
失った人とあの世とこの世の繋がり
思う人達の側に…。

そして見守り
挨拶をしてまた帰ってゆく。
どこか光の世界へ。

きっとそれは生きることを精一杯楽しむ為に
生きている者たちの為に
離れているのかも知れない。

私達が精一杯楽しく人生を生きる為に…。


多くの人が想い偲ぶ。
それは素晴らしい風習と改めて感じる。

そして改めて
考えさせられる大切な瞬間なのかも知れない。

生きている事や
命を大切にすることを…。

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筆者プロフィール

HN:
chieko
年齢:
44
性別:
女性
誕生日:
1967/03/05
職業:
メンタルセラピスト
趣味:
心理・超心理・脳科学・宇宙・ミクロ・DNA・DVD鑑賞・グラフィックアート
自己紹介:
田中千栄子
愛知県名古屋市で生まれ
現在大阪市内で再スタート中!
成人した女の子二人手が離れてやっと自分の時間と思ったら初老の始まり…(^^;)


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