深い想いを感じた時に言葉にしたくなりUP。気持ちを残しておきたくて…。
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SNSを様々登録している。
ミクシーやFB・ツイッターなど
最近ミクシーはやっていない。
北海道の主婦友くらい。
時々情報交換をしている。
しかし突然
地元の同級生からミクシーで
メッセージがやってきた。
突然 何も前触れもなく
やってくるのがSNSの不思議なところ。
同級生からだった。
しかし
私には小学校も中学校も記憶は薄いのです。
何を考え生きていたか?
なんとなく記憶をたどる。
でも何も考えず登校していた自分しか見えない。
家庭が複雑すぎて学校は薄い。
その同級生は
「仲が良かった友達の名前とか覚えてる?」
と言われても記憶にない。
メッセージを頂いたその人の名前もわからない。
旧姓を教えてと言われて伝えると。
相手は私の幼い頃を知っていた。
「転校してきた子でしょ。」とメッセージが…
それだけで恥ずかしくなった。
転校してきたのは小学3年生の時。
相手はどうやら知っている。
なぜこの人は覚えているのだろう?
アルバムも無いから記憶をたどれない。
地元で飲み会をしているらしい。
今年は同窓会をするからと誘われた。
嬉しい誘いだけど
ちょっぴり怖い気もする。
今は大阪だから難しいかも知れないけど
過去の自分に興味がある。
人は私をどう見ていたのか?
人の記憶に私が存在している。
しかし私の記憶には誰も存在していない。
感情もない私があるだけなのです。
今の私とは別人の幼い自分が
そこにあるような気がして。
不思議な感覚で自分を見つめています。
その数日前に同窓会の話を
偶然していました。
私には地元がないんだよね。
同窓会なんてありえないし、きっと名前も変わって
引越しして誰もわからないんだよね。と。
それが数日後
SNSネットワークからこの便り。
今年は一体どうなっているのだろう?
いろんな人と繋がり心を良くも悪くも振り返る瞬間がある。
過去の私を…。
今SNSは繋がりのスピードが増しているのだろうか?
ちょっぴり怖いような気もするけど
自分探しの手がかりでもある。
その人に私のことを聞いてみるのもいいのかもしれない。
同窓会には出られないけど…。
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心の悩みの相談には
恋愛があります。
恋愛は時として葛藤や苦しさが表れて悩ませる。
人は愛しすぎると苦しくなる。
愛しているだけならただただ楽しく
ワクワクしていられるのに。
でもそれは恋愛ばかりではなく
愛はあちらこちらで見え隠れしている。
家族との問題には家族愛があるがゆえ
問題が生じる。家族を思うからこその葛藤。
自己中心的な人の中には自己愛が強いが
そこにも愛がある。
美しいものを感じる心にも
物に対しての愛がある。
相談や悩みのほとんどが
見えない愛の見つけ方を認識したくて
出会っているのかもしれない。
その愛に気がつかないから苦しくなるのか?
そんな中
韓国ドラマにはまっていた時期を振り返る。
そこに描かれた恋愛は純愛が多い。
そして言葉が奇麗であり
登場人物は必ず心が美しい人と
醜い人とに分かれている。
しかし最後は心が醜い人も美しくなる。
結局ハッピーエンドになるのだけど
分かっていても号泣したりする。
なぜ涙をながしてしまうのか?
時々考える。
やはり
人を思う気持ちや言葉が
奇麗だからなのかもしれない。
心に言葉が入ってくる。
求めているからなのか?
「愛してる」と言う言葉は
ただその人の気持ちを表している。
しかし
「愛しているよ」と、「よ」を入れるだけで受け止め方は違う。
軽く感じてしまうのは私だけなのだろうか?
言葉は本当に心で感じるものだとしたら
こんなにも違いがあるのかと考えさせられます。
日本文化は挨拶も含めて言葉の大切さや気持ちを伝えるすべは
少し遅れているかもしれないけど
人の心は皆同じなのかもしれない。
人を本当に愛する事を知っている人と
本当に愛されている事を知っている人がどれだけいるのだろう。
でもそれは本物だろうか?と疑問にさせたりもする。
愛は見えないパワーがある。
捕まえようとすれば逃げ、消える。
気がつかないうちに芽生えていたり傍にあったり。
人は沢山の愛がある中で
今を生きている。
難しいテーマがやっぱり「愛」
愛を誰もが持っている種族 人間なのかもしれない。

自分の性格が時々分からなくなる事が
誰もあるのではないだろうか?
私も時々見失う。
人に合わせていたり
人を重視していたりすると、あっという間に
自分らしさは消えつつある。
自分の為に時間を使う。
自分の為にお金を使う。
自分が楽だと感じる人に合う。
自分の気持ちに素直になる。
今の自分を認める。
それって全て自分が認識していないと
何のためなのか?何を求めていたのか?
何故こうしているのかさえ分からなくなる。
自分らしさは保っていたはずなのに
気がつけばかけ離れてしまっている事さえある。
全て自分を中心にすれば
それも自己中心的で醜さが増す。
きっと、人との調和の狭間で
何が好きで何をしたいのか?
自己認識のなかで理解しながら
ほんの少し自分の為の時間を必要としているのかもしれない。
誰もが心の自由を求めている。
もちろん私自身も同じ。
でもいつしか勝手に心の自由に
「ねばならない」「でも」「だって」の鎖を
自分で繋げている。
こんな私でさえ。
美容院にいったり
歯科医でピカピカに磨いてもらったりするとふとおもう。
自分の時間を使っているんだな~と。
自分の為に。。。
自分らしさって
関わる人で見えてきたりもするような気がしてならない。
自分を映す鏡のように…。

先日 フェイスブックでメッセージが来ました。
「怒ってる?・・・・」から始まるメッセージ。
はじめは戸惑いました。
名前
似ているけどあの人かな?
なんだか暗号の様なメッセージ。
私にしか分からないメッセージです。
その方は
私が10代の時の同僚(量販店)であり
モデルになる前に当時は趣味で写真を撮ってくれた人。
いつしか
私は本当にモデル事務所に入り
彼は東京へ行きプロのカメラマンになった。
時々電話で話したり
数年に1度居酒屋へ行ったりくらい。
ある時
私は久々の電話でセラピストになる。と言ったのか?
セラピストになりたい!と言ったら
彼は「そんな甘いものじゃない!」と怒っていた。
そしてその後連絡は無くなった。
そんな関係のままだったのです。
(私が勉強をしていた事を話してもいなかったのも原因のひとつ)
反対した唯一の一人です。
偶然とは不思議なものです。
もちろん
私もその言葉で火がついて
悔しさから「絶対になってやる!」と
心に決めた気持ちが蘇ります。
もちろん「甘いものじゃない」の言葉はいつも常にありました。
それから事務所を借りて
ひとりコツコツとモデルも辞めてやっていました。
そして今
一人には限界がある中
手放そうとしていたテキスト(まとめていたもの)が
先々月 出会った方の絶大なる力添えで
一般社団法人日本メンタルセラピスト協会と言う形になったばかりなのです。
(登記できたばかり)
そんな中
「そんな簡単なものじゃない!」と言った知人と繋がる。
実は「怒ってる」のメールに
「怒ってないよ。おかげで励みになったよ。」と伝えられました。
そう言えたのは
今回の協会を作ったばかりででもあるからかもしれない。
その協会は
過去の私の様なセラピストになりたいと思っている人に対する
検定試験やスクールだから…。
今だから分かるんです。
なぜ、その彼が「そんな簡単なものじゃない!」と言ったのか。
心は奥深くて、危険でもあり大切だから…。
それをこれから伝えていこうとしているその瞬間の私なんです。
不思議な偶然があるものです。
今年は特に不思議です。
もちろんフェイスブックのアルゴリズムでの
知り合いかも?の欄は神業に思えてならない。
縁であるタイミングまで偶然を引き起こしている。

あれは18歳の頃
女性らしさを学びなさいと連れて行かれた場所がある。
努力している人を紹介された。
それは
オカマバーと言う空間だった。
その時は何がなんだか分からなかった。
その空間には
本物の女性は私だけのはず
でも、見た目と表現や動きは
しっかり負けていた。
当時の私は無愛想でとげとげしかっただろうな。
笑顔さえ声かけさえ苦手だった。
そんな自分の姿や記憶が蘇る。
そして現在44歳。
女性らしくなっているのだろうか?私。
そんな気分を目覚めさせてくれたのは
お抹茶を立ててくれる友人。
器を支える手
立てるしなやかさ。
器をやさしく動かすやさしさ。
そしてその動きが日常にもある。
食事を出してくれる瞬間。
何かを取るしぐさ
動きが優雅に感じるのです。
人を思う心
女性の穏やかさを動きで感じます。
彼女といると安らげます。
時に大笑いもします。
テンションもあがります。
でも、そこには下品さは無い。
この人はいい時間を過ごしてきたんだな。と感じる。
お花やお茶・着付けなどをされているから
必然と和を身に着けているんだろうな。
私はどうなのだろう。
無縁の世界だったように感じる。
もちろん着物を着るのは大好きで
心地よかった。
あのムードも好き。
でも日常は着ることは無い。
これからどんどん年を重ねてゆく
おしゃれも限界がある。
やはりこれからは
和の女性ではないかと思う。
だからと言って着物を身に着けるわけではないけど
心は日本の和を保てたらいいなと思う瞬間だった。
それと同時に
心を描くアートについても盛り上がりました。
ずーと描いていないな~
描きたいな~
今の気持ちや想いを色にしたいな~
そんな気持ちが共鳴して出展を目標に
来週はなぜか画材を一緒に見に行く事になりました。
和の心とはきっとアートにも表現されないかな?
タッチがやわらかいのではないかな?
なんて考えたりもします。
静かな心を描く
ちょっぴりイメージ
だからこそ今描きたいと思うのかもしれない。
今の気持ちを描き残したいのかもしれない。
一人ではつまらないけど
友人とならなんだか目標にもなる。
だから夏の課題として10月締め切りまでまだあるから
挑戦してみることになった。
時間の合間に。。。。
やさしい絵が描けるといいな。
これは本当の心を表すものだろうな。

今、目の前に9冊のテキストを並べて眺めている。
腕組みをして私は見つめる。
この子達は(テキスト)
6年ほど前に私以外の人が教えられるようにと作ったもの
でも、実際は何冊かは旅だったものの
結果的には広がりも小さく日陰の身になった。
時々難しいのかな?と
一部抜粋したものを使ってきたけど
いつまでもしまいこまれていた。
そして気がつけば今
また腕組みをして見つめ直している。
私の意思をはるかに超えて
このテキスト達は生きていたのだ。
ひょんなことからこのテキストは教科書になる。
セラピストになる為の…
私は章わけをするぐらい。
プロのライターさんが磨きをかけるのだ。
絶対ありえない。
この子達は生きている。
私がやりたい時に活動せず
私が忘れてしまったときに目覚めるのか?
まるでこのテキストが人を選んだり
場所や空間、時期までも選択しているようにさえ思える。
精神世界では願望は叶うと言われている。
しかし私の場合は6年のブランクがある。
そのズレはなんだろう。
そして私は作るだけつくり
努力をせず保留箱に眠らせていたからか?
今あの時の記憶が蘇ります。
作る思いと完成したときの喜び。
今思えばなぜこんなモノを作ったのだろうと思ったりもする。
けど、今こうして話しが湧き上がったとき
作っててよかったと想う。
間違っていなかったとも想う。
それでもやっぱり
このテキストは生きてる。
そう想うしかない。
私の意思とは現在は違うから…。
きっとこの子達は
私のモノなんかではなく
これから手にする人たちの為に生まれたものなんだろう。
私はただただ通り過ぎた
工程に過ぎないのだと。
置き去りになった気分と
今回の大きな流れは想像をはるかに越えていて
驚くばかりです。
人生には自分ではどうにもならないことがよくも悪くも起こる。
それが何かは今でもわからない。
でも、現実では考えれば不思議なことは多い。
それがこの目の前にあるテキストでもある。
腕組みをして眺めている私。

私には娘が二人います。
東京でなんだかんだと活動してる娘達。
いつからか
私の背中を見てなのか?派手な世界に出かけていきました。
親は内心反対なのですが…。
そして今では
こっそりブログやツイッターを拝見して
様子を伺う。
きっとお互い。。。
いつの日からか親子ではなく
女同士になっているような気がする。
上の娘と私には…。
そして先日も
娘情報発見。
育った地元で(長久手)
姉妹1日警察官をするらしい。
そしてトークショー。
だいたい何を話すか予想がついたりする。
そして記憶が蘇ります。
実は長女は警察にお世話になっている。
ある日の帰り道夜9時ごろかな?
道を歩いててちかんに遭遇
襲いかかってきたのです。
自宅の側で…
偶然美容室の方が見ていて
助けてくれました。
その後が大変。
美容室の人が追いかけ犯人は逃げ
警察が出てきて大騒ぎに。
事情聴取やら何やらで深夜2時に解放されて
そんな記憶が蘇ります。
そして多くの警察の方のお世話になったのです。
きっと娘はそんな話をするんだろうな~
だからちょっぴり気になります。
こっそり観に行くべきか?悩んでる。
名古屋まで帰らないといけないしな~
ただ、もう一つ気になることがある。
実は下の子は空手黒帯をもっている。
私は下の子には婦人警官になって欲しかった。
だから…。
こっそり出会った警察官にどうしたら婦人警官になれるのか?
なんて話を聞いたことがある。
しかし結局は下の子も派手な世界に行ってしまった。
女の子だからしかたがないかな?
自分の人生は自分で決めなさいと話しているから
結局したいなら・・・と東京へふたりとも出かけました。
でも、今回 警察官のコスプレじゃない?
見たい気持ちも蘇る。
親の立場でなんだか嬉しい。
同じ女性として本物の婦人警官の洋服着られて羨ましさもある。
こっそり見に行くべきか?まだ悩んでいる。
どちらにせよ。
親子だけのつながりではなく
女同士の関係が見え隠れしている。
だから今も
なんだかこのまま終わりたくない。
いつまでも「ママにはかなわないな~」と思われる母親でいたい。
良くも悪くも…。
この気持は
死ぬまで終わりがないんだろうな。
頑張らなきゃと思えるのは
やはり娘の影響かな?

最近涙もろくなっています。
きっと感情の蛇口があるならば
緩くなっているからなのかもしれませんね。
その感情の蛇口は
人生で諦めていた部分でもありました。
私は人を信じない癖があります。
でも人は大好きです。
上司も頼れる人との出会いもなく
両親も頼れる人じゃないからでしょうか?
しかし
そんな中
こんな私に対して人として助言してくれる人が現れたのです。
そして現在
私自身が欠落している部分に対して
多くのアドバイスを受け取っています。
それは
書籍にある物語のような出来事にも感じます。
精神世界の言葉で言えばメンターとの出会いです。
私はメンタルの世界ではメンターでもあります。
ジャンルは違いますが
メンター同士が出会いスパークすると
とんでもない流れが起きます。
諦めていた存在に
感動して蛇口はいつも緩んでいて
今までどれだけ蛇口を固く占めていたことだろうと
反省しています。
緩んで初めて
きつく閉じられていたことを・・・
見えない世界からのサプライズは
いつも驚かされますが(出会い)
今回もやはり驚きのタイミングで起きています。
現在最も苦手としているジャンルに挑戦中です。
でもそれは
私が本当にしたかったことでもあり
自分磨きというより勉強中です。
そのメンターにどこまでついて行けるか?
私自身が試されているような気がしてならない今日です。
「やりたかったことでしょ」と人に言われて
再確認してその入口に来ている事に
涙が溢れてきます。
この気持や感動
思いや信念
出会いや流れなどすべてを忘れてはいけないと
涙が物語っています。

実は久々に
メールマガジンやら企画書やらを書く事になりました。
私の中では、過去にやったことがあるから
大丈夫。
企画書に関しては数時間あれば・・・
メルマガに関しては30分あれば・・・
甘かった。
私は140文字ツイッターと画像日記にはまり込んでいて
長文で伝える思考がなくなったとは言えないものの
引き出しを探すのにてこずってしまいました。
文章が主語がなかったり、何が伝えたいのか?
熱くなりすぎたり、飛ばしていたり。
なんと!自分の思考のスピードも指がついて行けません。
リズムがバラけてしまい
自分でも驚くばかりでした。
体で覚えた事や
してきた経験は消えるものではありませんが
ここまで遠ざかっているとは驚きでした。
気持ちを伝えるとはついつい長文になりがちな私は
140文字でに挑戦して葛藤や難しさなどもあり
慣れてくると長文への変更が
また苦手になっていることへ驚きは
笑えるばかりでした。
リハビリしなくてはと
こちらを始めました。
脳は使わないと良くないですね。
使い過ぎもオーバーヒートしますが
進化したり休ませたり
現代についてゆくって大変ですね。

梅雨時は髪がまとまりません。
最近 朝活での打ち合わせがあり
真面目な話をしながら
まとまらない髪型が気になり
今日はカットをして来ました。
割引券もあります。
鏡をあまりみない私は
ついつい美容にはワンコを中心になってしまい
私自身が疎かになってしまう傾向があります。
そんな話もしている
近所の美容院なのですが
出かけてきました。
「人と話すことが多い」という言葉に
美容師さんの知識が溢れてきました。
現在は黒髪なのですが…と問うと
職業で色も髪型もあるんですよとの事。
もしも話をされるなら
絶対黒髪がいいですよ。とか
男性が相手なら黒がいいとか
介護福祉も黒髪のショート
髪型のイメージレクチャーを受けました。
そしてなにより
左に白髪があるので
写真を撮られるなら右分けをおすすめされて
なるほど~~
なんでも正直に話してみるものなんだな~
ここ最近
正直に話そうと心がけています。
私の心の何処かで隠れたり
あえて曖昧な話で伝えたりをしていましたが
正直になれば人も正直になる
そんな空間で楽しいカットレクチャーを受けてきました。
驚いたのが
カット技術や流行だけではなく
コミニューケーションスキルのような
何が必要で何を相手に感じさせるのか?
そんなイメージなども美容師さんは勉強しているんだな~と
時代は進化しているのを感じました。
心を探求していますが
実際
心は進化しているのだろうか?
対応しきれているのだろうか?
美容師さんから
なにか違う学びを受け取ったような気がしてなりませんでした。
実は20%割引券持っていたんだけど
なんだか使えなくなるこの気持って
すごいことだな~
大きな価値をカット以外に私は受け取ったから
使えなかったんだろうな~と
そんな自分にも笑えました。
20%割引のハガキは今も見えるところに挟まっています。