心は移り変わる。
なぜ変化するのだろう?
そう思うのは
昨日の1シーンからだった。
現在新しい協会をみんなの力で製作しています。
そしてHPの管理・製作やブログなども沢山の人が
関わっていただいている。
その他にもいろいろ。
その中で
ツイッターの発言について
注意を受けました。
その時は言い訳をしていましたが
「でも…。だって…。」
見られている恥ずかしさの中で
ついつい言い訳していた自分。
帰宅して夕焼けを眺めて振り返る。
後からひとり振り返ると
変化していく。
意見を言ってもらえるその否定的な言葉の中には
真剣さや客観的に見つめてくれている部分に
ありがたさを感じる。
過去に長い付き合いの人から
「セラピストはそんな簡単なものじゃない!」と言われ
喧嘩した事がありましたが…。
でも実際そのおかげで
模索してがんばってこれたような気がする。
実際は上司でもないのですが
私の中では意見を言ってくれる人は
それが正しくても正しくなかったとしても
現在は上司として見つめて
なんだかありがたく受け取れています。
そうできるのは
一人では何でも限界があることを
知ったからでしょうか?
それとも
意見を持って言ってくれる人が
少なくなってしまったからでしょうか?
時には私も人に意見を伝え
それが大切だと感じれば
否定的なことを言うからでしょうか?
否定的でもその人にとって
大切だと思うから言ってくれる。
その気持ちがやっとわかったからでしょうか?
過去に人の意見が素直に受け取れず
ぶつかっていた時期があるからこそ
今の自分の変化には正直驚きます。
とげとげしさを本人が自覚していなかったけど
あったんだな。と
誰も言ってくれないまま時が流れて…
気がつけば
そのトゲはきっとあるけど
先がちょっぴり
丸くなっているような気がして…。
そして現実的には
意見がある人に囲まれてる。
意外とそれが心地よく感じるのは
学ぶ事が沢山あるからなのかもしれない。
意見を言えるその人達から…。
なんとなくだけど
誰にも否定的な人って人生には必ず登場している。
それで苦しんでいたり悩んでいる人がいる。
そんな時期があってもいいんじゃないかと思う。
いつか「ありがたく受け取れるその日が来る」から…。
個性を磨いてくれているのかもしれない。
なにくそ!って思える、
そんな根性試しなのかもしれないね。
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